神聖な野球場を創る

ここ数年、Rollbahnの手帳を使っている。

毎年いろんなデザインが出ていて面白いのだけど、今年はBaseballの表紙に一目惚れして購入。
鮮やかな芝のグリーンに心が広がる感じがある。

よく見ると、ピッチャーはこだわりのサウスポーで、オールドスタイルのソックス。
サードは股が開いていて、いかにもトンネルしそう。程よい緩さにふと和む。
まるで、昔の村上春樹の短編小説のワンシーンのよう。
 

僕が唯一してきたスポーツは野球だ。

団体行動は苦手で学校も苦痛だったけど、野球だけは楽しめて出来た。
たぶん団体競技でありながら、ひとりひとりが割と独立している感じがあってるのかな。
子供の頃は、壁を相手に1人野球を最大限の想像力を持ってやってたのをよく覚えてる。(屋根にボールを投げて、落ちて来る玉を打ったりもしてた)
 
20代の時は、1人でアメリカに野球を観にも行った。

ちょうど野茂が渡ってから4年目だったかな。
僕が出発直前に、野茂がロサンゼルスからニューヨークに突如移籍してしまい、追いかけるようにサンフランシスコから長距離バスで東へ向かって、カナダのトロントでようやく観れた。

いろんな球場も回った。

ロッキー山脈の麓のマイルハイ球場からアメリカ最古のど田舎球場まで。
小さな“おらが町”のマイナーリーグの球場では、みすぼらしく珍しい観光客の僕に地元のおじさんがチケットを恵んでくれた。
僕はお返しに小梅キャンディを手渡す。

 暗い通路を抜けて球場に入る瞬間の開ける視界が好きだ。
一瞬止まる呼吸が、次の瞬間に深く入ってくる。はーって。

今年になって、ケビン・コスナーの『フィールドオブドリーム』を久しぶりに観た。
「If you build it, he will come 」
その心の中の声を聞いて、主人公はクレイジーにとうもろこし畑をつぶし野球場を作ると、どうしても会いたかった“彼”がそこにやって来るというあれだ。
今ならそれがどういう事か少しわかる。
 自分の中に広がり過ぎたものを手放してスペースを作り、自身の神聖な野球場を作る。
そして“彼”を“彼女”を迎え入れる。
会いたかったあの人は、実は自分自身の中にいて、何ひとつ変わらない。
その事実が人を温める。生きていく力になる。
そんな記憶、想いを次々と湧き出させるこのデザインは、きっととても素晴らしいんだろう。
そういうものと丁寧に時間を過ごしたいなと思う。