極端にならず、虚無に落ちない為

昨日はnicoyoga大磯でヨガ哲学WS。

段階を踏んで自身の微細な中心の真実に安全に触れていくということを、講義半分、体験半分という形で学んでいきました。
 
物質から非物質へ。粗雑から微細な領域へという流れ。

まずは目に観えて、確実に触れることができる、より物資的で粗雑な身体の感覚からヨガが始まる。

次に、目には観えないけれど誰もが存在を知っている空気の鼻の出入り、より微細な呼吸の感覚に注意を向ける。

そして、誰もが存在を認めるけれど、決して目に観えることのない非物質、心を観察する。

そして、その心を観察している意識がさらにあることを知る。

その意識がより純粋になった時、魂、知恵、スピリット、プルシャなど、誰もが色んな名で呼ぶ、よく分からない至福な何かに辿り着く。

でも、辿り着くかどうかはどちらでも良い事で、大事な事は、このヨガの探求の段階をひとつずつ丁寧に歩くということ。

しっかりとした土台を作ること。

迷ったり疲れたりしたら、いつでも帰れる安心、安全な場所を作ること。

それが無く進むと、飛躍して極端に成果を求める自我が高まる。そして、その自我では進めない領域に来た時、崩壊して全て飲み込む虚無に落ちる。

意味も意志も無くしてしまう。自分の人生を手放してしまう。

 私達に必要な事は、極端な何かになることよりも、今この身体で体験する人生を、そのまま受容して味わうことかもしれない。

それができる為の力。

誰もが健全に人生を全うできるように、その道のりをサポートする為に、このヨガの知恵が多くの人の手にあると善いなと、心の奥の奥から思う。

窓を開け、風を回して、少人数での開催でしたが、たくさんの心からのシェアを貰えました。それによってまた、僕自身も安全に安心してこの道のりを歩めそうです。

また、次回も一緒に進みましょうね。