予感は現実をより現実らしくする

今朝の夢の中で僕は、自分の母親が子供を出産するからと聞いて、急いで病院に駆けつけていた。
病院の待合室の椅子に座って、じっとその時を待っている。
僕の前の椅子には、何故か分娩室にいるはずの母親自身も座っていた。70歳過ぎだったはずの母親は、たぶん今の僕と同じくらいの年齢、姿になっている。そして彼女自身も、分娩室の自分が出産するのをその場に座って待っていた。
産まれる子は女の子らしい。
男3人の後の待望の妹。45歳も年が離れてる兄弟。
僕は、その母親の肩に手を乗せて励まそうかどうか迷ってる。
母親は、どこか遠くの一点をただ眺めてる。

朝、目覚めた後、そんな不思議な夢の余韻をぼんやりと感じていると、亡くなった母親は産まれ変わったんじゃないかという気がしてきた。
今日、今朝、この時に。
予感。
予感というのは、これから未来に起こることでは無くて、今この時に、見えない何かが確かに起こったということを感じとる力。予感を受け取ると、世界を捉える在り方が変わる。
これから僕が会う小さき女の子は、みんなそうだと思ってみよう。
うまれかわり。
たぶんそれは、とても幸せなことだろう。
そうやってある時には、予感は現実をより現実らしくする。
45歳も歳下の子供が自分の母親となる。
巡り巡るという奇跡は、巡り巡る意識そのもの。そうやって、何度も何度も人は大事な人と出会ってきたんだろうと思う。
そんな想いが湧いてきた後には、寂しさよりも満たされた気持ちが大きいことに気づく。
夢を大事にしょうと思う。